首届人民中国杯日语国际翻译(笔译)大赛赛题
组别:高职高专组
项目:日译中
紅茶発祥の地は福建省武夷山だと言われており、福建省ではこれまで正山小種、政和工夫など、歴史的に多くの紅茶が作られてきた。ただ紅茶はヨーロッパなどへ輸出する商品であり、「中国人は紅茶を飲まない」というのが、筆者の基本的な認識であった。15年ぐらい前に上海のおしゃれなカフェで、若い女性がリプトンのティーバッグを、美味しそうに飲んでいるのを見て、そんな時代になったかと思った記憶がある。
中国人に好まれる紅茶を
そんな中国人に飲ませる中国産紅茶として登場し、一世を風靡したのが、紅茶発祥の地、武夷山で開発された「金駿眉」であったと言えるだろう。茶葉の芽の部分のみを摘み、中国人が好む甘さと柔らかさを引き出したこのお茶が、中国人が紅茶に目覚めるきっかけになった。ただこのお茶はあまりにも高価で、1斤が1万元もする物まであり、一部のお金持ちの飲み物になってしまった感がある。それでもこのころから、100年以上前に国際的な評価を受けた湖南や湖北など中国各地の紅茶が復活し始めたのは、喜ばしいことだ。 それと同時に、全く新しい紅茶を作ろうという動きも出てきた。福州で紅茶を専門に扱う元泰茶業の魏文生社長は、全中国20カ所以上の茶産地と提携して、さまざまな紅茶を販売している。また紅茶文化を中国に根付かせたいと、紅茶の歴史の発掘などにも力を入れている。「紅茶の発祥地は中国なのに、そして世界の茶葉生産の8割は紅茶なのに、中国人自身がそれを知らないのはあまりにも残念だ」という思いがあるからだ。 紅茶が世界的に普及したのは、製造面からみると「標準化しやすい」「フレーバーが付けやすい」「ブレンドすることで、より美味しくできる」などの要因があるという。ただ中国茶の世界では、このような標準化は図られず、フレーバーは好まれず、ブレンドもされない傾向にある。であれば、中国独自の、中国人に好まれる紅茶が作りたい。いつしか、魏社長はそのような思いに駆られていた。そしてそれは彼の師である中国茶業界の泰斗、張天福先生の願いでもあった。
人生を茶業のために捧げる
張先生は福州在住で1910年生まれ、107歳になられる。民国時代に福建省に茶の実験農場をつくり、多くの茶業人材を育てるとともに、品種改良、製茶技術の発展に努め、戦前の日本や台湾地区にも視察に訪れたことがあるそうだ。新中国成立後も中国の茶業のために尽くしていたが、文化大革命などの混乱期には不遇の時代を過ごした。ただその中でも茶の研究を続けていたという精神力の持ち主だ。 名誉回復された1980年にはすでに70歳を超えていたが、その後も多くの茶に関する活動を行い、中国大陸のみならず、台湾地区などでも有名になっている。100歳の記念に著書『茶葉人生』を出版されたことがまさに張先生の生きざまそのもの、一生を茶業に尽くしてきた方である。ちなみにその本は中国語で700㌻にも及ぶ。100歳を超えてなお茶作りに情熱を燃やす張先生を見ていると、きちんとしたお茶を長年飲んでいるから健康なのだ、それが人として望ましいのだ、と実感させられる。 張先生と魏社長は福州市内から車で2時間ほど行った永泰県に7年前に土地を確保し、茶工場を建て、茶樹の栽培を始めた。この地は過去に茶樹が植えられたことがなく、周囲に民家がないこともあって土壌や水の汚染がなく、抜群の環境だった。そこに紅茶製造に適していそうなさまざまな新品種の茶樹を植えて、農薬や化学肥料を使用することなく、これまでにない紅茶作りを試している。
日本でも最高金賞受賞
その努力の結果生まれたのが、「金元泰」という紅茶。すっきりした味わいで、最近作られる中国紅茶とは異なり甘さは控えめ。従来の中国紅茶とは一線を画す紅茶だ。中国内でもこの茶を取り扱いたいという店が増えているだけでなく、昨年日本の静岡県で開かれた世界緑茶コンテストで最高金賞を受賞するなど、国内外で評価されてきている。 だが張先生と魏社長が目指す紅茶とは、決して最高級のお茶ではなく、もうけのために作られるものでもない。本来茶文化があるはずの中国において、生活に密着した、中国人が普段飲みできる紅茶の開発も進んでいる。昨今食品の安全が問われている中国で、誰もが安心して飲めるお茶が作られることは極めて重要であり、それが消費者の求めているお茶だと言えるのではないだろうか。
——『人民中国―中国紅茶の旅』