第四届人民中国杯日语国际翻译(笔译)大赛赛题
组别:社会组
项目:日译汉
ぬれた心
人間と人間とのつながりを、自分の方から、ぷつんと断ち切ってしまう人、ボケやすい。
「お早ようさん」
「あ、ボケのセンセ、先日はお世話さんどした」
「いやいや、どーも」
病院の二階にある内科の待合室で、毎朝、くりひろげられる風景である。
中には、名前の思い出せない患者さんもいる。命をあずかる医者として「あんた、だーれ」とも言えず、そこはそれ上手にボケて「相変わらず元気か?……」。相手も心得てか「は、おかげさんで……」
ところが、声をかけても、木で鼻をくくったような返事をする患者さんもいて、こういうシラケたお年寄りにかかったらたまらない。
「お早ようさん」とほほ笑むと壁の時計をちらと横目で見て「今、なん時やと思うてなさるか」。「おばあさん、よう冷えるなあ」と問いかければ、北風に吹かれたような冷たい表情で「冬でっさかいな」。あ、危ないな、ボケは間近いぞ、と私は嘆息する。
古くからの知り合いで、西陣に永年住んでいる田中のおばあさんも、そんな人だった。三年ぶりに診察を受けにきたので、私は「死んデレラと思ったら生きテレラ」とばかり、急になつかしさがこみあげ「おお、おばあさん、長い間合わなんだな。達者にしてるか」と肩をたたいた。すると田中のばあさん、眼鏡越しに私の顔をじろりと見上げて「達者やったら病院にくるかいな!」
達者でないから病院にきた。それをつかまえて、達者かとたずねるモノがどこにいる、とその目は語っている。なるほど、おばあさんのほうがスジが通っている。
さて診察、とりたてて悪いところはない。私はほっとして、またうれしくなり、ついさっき腹が立ったのも忘れ、思わず「おばあさん、いつまでも元気でええなあ……」と口に出す。とたん、田中のおばあさんは、むっとしてぷいと横を向いた。
私は苦笑しながら「なに怒ってんのや」
「センセ、わて生きてて悪うおすか!」おばあさんは突き刺すように言い放った。どうやら「いつまでも元気だな」という私の喜びの表現を「いつまでもよう生きているな―」と受け取ったらしい。ああ、ボケはもう間もなく―。
こうした人たちに共通しているのは「感動」「情」がないこと。心がぬれていない。心が乾けば、ヒビ割れてシラけ「無表情」になり、言葉にも「うるおい」がなくなる。
「元気か?」と聞き、明るい表情で「おおきに」「おかげさんで」と答えが返ったなら、次の時も声をかけようかなと思うのは人情。その表情、返事に、たくさんの目に見えない大きな加護、支えで、ここまで生きてこられました、という感動があり、それがこちらにも伝わって、心が揺れる。人と人との「間」が保たれる。
実は、この人と人の「間」つまり語り合いがある。持てる——これがボケを防いでいるのだ。
田中のばあさん、とうとうこの「間」を落としてしまったらしい。生い立ちや環境も、そこには影響を与えているだろう。しかし、どんなに小さなできごと、ものにも、感動だけは失わないようにしたい。
『ボケとつき合う』早川一光 現代出版