第四届人民中国杯日语国际翻译(笔译)大赛赛题
组别:研究生组
项目:日译汉
柿本人麿と杜少陵
柿本人麿は和銅の初め、多分二年頃に歿した人と推定され、杜子美は殆どそれと入違ひに和銅五年(唐の先天元年)に生まれ出てゐるのである。それ故、人麿は子美の影響を受けて居るといふ事は全く考へられない。むしろ反対に、子美が人麿の歌から何かを得て居るのでは無いかといふ事は考へられない事でも無い。大宝二年には山上憶良のやうな詩も歌も作つた人が、遣唐使の一行に加はつて入唐して居り、霊亀二年には安倍仲麿が渡唐して居るやうな事実もあるから、此想像は全く荒誕無稽なものとは言はれない。しかしこれも確かな根拠があるのではなく、やはり空想の範囲を出るものとはなし難いのである。無論前代の中国文学からは、二人共に深い影響を受けてゐるであらうから、其処に或関係は持つてゐるが、それは二人の間の相互影響といふ事とは別問題である。かういふ状態であるから、この二人影響といふ点から比較する事は不可能であり、芭蕉と子美との間における関係の如きものは考へられないのである。
それにも関わらず、二人は比較研究の対象として興味を誘ふものを持つてゐる。それは此二人が日本と中国とに分れて居ながら、その詩人としての価値、文学史上の位置において、非常に類似したものを持つてゐるといふ点によつてである。今簡単にその類似点を挙げると、何れも真実なる生活体験を詩歌の内容としたといふ事、特に忠実の熱情を以て国民詩人たるの風俗を示したといふ事、雄渾荘重なる、美的感情の最高の相を詩的世界の中に表現したといふ事、その表現力が極めて豊富であり独創的であつて、前代の詩的伝統を総合大成して、後代を支配する典型を定めたといふ事、此等の理由により、歌神とか詩聖とか呼ばれて、久しく尊崇の的詞宗として後代に光被する此二人が、相前後して東洋の詩歌に古典的完成の姿を附興した事は、世界文学史上の偉観であつて、東洋詩歌の本質を見極めんとする者は、此二人の類似点に鋭い探求の眼を投げ、その観る所を提げて、西洋の詩に比較すべきである。
然し、私が今此処に考へようとする事は、この類似点では無い。従つてそれは東洋詩歌の本質の究明といふ点ではない。今見ようとするのは寧ろその相違点である。即ち以上の如き著しい共通点のあるにも関わらず、尚其間に見逃し難い区別があるとすれば、それは二人の個性の差から来るか、若しくは国民性の差からくるのであらうが、個性の側から見て、詩人たるの資格において、これ程類似してゐる人は、此時代には見出されないとすれば、その相違点は多くは日本と中国との国民性の距離から来るのではないか。私の観察の焦点は主として此点に懸かる。そしてその結論は結局、日本は少年的で優美、中国は老年的で崇高といふ、ありふれた考へる方に落着く外はないやうであるが、それを更めてなるべく鮮明な形で、此二大詞宗の作品の中に見てみたいと思ふのである。