第四届人民中国杯日语国际翻译(笔译)大赛赛题
组别:中学组
项目:日译汉
自然をめぐる合意の設計
遠くから眺めた自然の輪郭は、その自然に近づくにつれ変化し、視覚だけでなく嗅覚や触覚、聴覚を通して感じられる自然になる。自然が善きもの、快であるものというイメージは、自然のなかに身を置くやいなや、肌を刺すイラクサやヤブカに覆され、悪しきもの、不快なものになるかも知れない。自然は繊細で壊れやすいという一般のイメージにもかかわらず、自然とともに暮らしている人にとって、自然は庭先や畑に容赦なく攻め入ってくる雑草や雑木をイメージさせるものであるかもしれない。
自然は、それを見る人の立ち位置によってさまざまな相貌を持つ。自然保護もその人の「立ち位置」によってさまざまな手法と解をもちうる。ここでは、当該自然の外部から眺めた自然や自然保護についての言説を「遠景の語り」、その自然に根を下ろした人々のローカルな文脈での言説を「近景の語り」と呼ぶことにする。
自然や自然保護に関する遠景の語りは、近景の語りが示すローカルな文脈とは無関係に、自然がもつシンボル的な要素に反応することができる。
たとえば、北海道で里に下りてきたヒグマが銃で撃たれたと報道された場合である。ヒグマは生態系の上位に位置するシンボル的な動物であり、個体数の減少が危惧されてきた動物である。市町村の担当部署には、「なぜクマを打ったのか」と自然保護の目線から講義の電話がかかってくることがある。そうした電話に、地元では憤りとも困惑ともつかない声があがってきた。なぜか。
エピソードを示そう。オホーツク海とサロマ湖に面した道東の常呂町。この町では、「暮らしの安全上からクマを撃ったこともある。だが、川を遡るサケ・マスを一定量以上に捕獲せず、上流の山地に生きるクマの取り分と考えているのも自分たちだ」という思いを感じ取ることができる。この町に住むAさんは、「都会の人は絵を見るように自然を見ます。しかし、我々は絵のなかで暮らしているんです」と語った。自然のように見える場所にも暮らしがあるという主張である。それは、都会の自然保護に代表される外部の視点への痛烈な批判のように思う。
《日语优秀文章精选》